違和感

「サンテンイチイチ」と略するテレビ、ラジオ。

「そんなに気になりますかねえ」という、職場の同僚。

仕事に追われ、ただ日々を過ごしている自分。

本当のことは、正しいことは、きっと誰もわからないし、誰も教えてくれない。

だから、みんながそれぞれ、自分が「正しい」と思うことを、信じることを実行していくしかない。

自分は、楽天的な方だと思う。「何とかなる」と、いつも思う。そして、行動する。

結果的に「何とかなった」ことが多いが、それは考えが足りずに行動してしまう自分を、周りの人たちがいつも支え、助けてくれたからに他ならない。周りの人にとっては迷惑きわまりないかもしれないが。

だから、今日も思う。

「大丈夫、何とかなる」

「だから、まずやってみよう」と。

しかし、こうも思う。全てのことが「何とかなる」わけではない。

「どうにもならない」ことだって、ある。「やってはいけないこと」もある。

「やってみて、ダメだった。どうにもならなかった」

こんなこともある。

その、「ダメだった」ことを、もう一度やってみたいのなら。どうしてダメだったのか、どうにもならなくなってしまったのか。理由を、原因をとことん追究し、「二度と同じ失敗を繰り返さない」と確信できてからにするべきだ。

原発を再稼動させようと言うのなら、どうしても動かそうというのなら、今度は絶対に大丈夫だというのなら。

一年前の事故の始末をキレイにつけてからにするべきだ。

核燃料は取り出せましたか?全ての地域で除染作業が行われ、安全が確保されましたか?福島県は、東北は、日本は、また元通り安全に暮らせるようになりましたか?

「枝野経済産業相は7日、読売新聞のインタビューに応じ、定期検査で停止中の原子力発電所の再稼働について、地元に合意を求める前に、首相と経産相ら関係3閣僚が政治判断することを明らかにした。」

「首相、官房長官、経産相、原発相からなる関係閣僚会議で国の判断を出した上で、地元自治体の合意を求める。その後、再稼働について国が最終判断する。」(YahooJAPANニュースより引用)

「関係閣僚」の皆さん。あなたがたは「国」の中で、ごく一部の役割を担っているに過ぎない。

あなたがたが「国」なのではない。

原発を再稼動するかどうかを「国」が決めるというのなら、国民一人一人に問うべきだ。決めさせるべきだ。

1億2700万人に、聞いてください。

「原発は絶対安全のはずでした。でも、事故が起きて、放射能を国中に撒き散らしました。まだ事故が起きた原発は壊れたままで、この先何十年、何百年かかっても元にもどせるかわかりません。またいつ大きな地震が起きて、今は止まっている原発が壊れてしまうかわかりません。また、同じような恐ろしい事故が起きてしまうかもしれません」

「もう一回、原発を動かしてもいいですか?」

何のために?

「今度は大丈夫ですから」

何を根拠に?

決めるのは、政府ではない。我々、一人一人だ。

 

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