4月の28日午後9時に国分寺市を出発し、国立府中インターから中央道、首都高速を経由して東北自動車道を一路北へ。
福島西インターで高速を下り、東へ。
川俣町を通り、飯舘村を通過して、さらに東へ。
29日午前3時。福島県南相馬市、原町に到着。
というわけで、4月29日~5月1日の3日間。福島県南相馬市で、ボランティアに参加させて頂きました。写真は原町のセンターの駐車場で、夜が明けたところです。
瓦礫の片付けなどを手伝わせてもらうつもりで行ったのですが、そういった作業は海に近い鹿島区のセンターで専門に受け付けているとの事でした。
そんなわけで、鹿島区のボランティアセンターへ移動。以後3日間、こちらで作業をさせてもらいました。
入り口には、こんな掲示が。
初日、4月29日は鹿島区の住宅へ。築60年近くなるという木造の住宅で、床板をはがして泥をかきだしたり、散乱した瓦礫(ここでは、そう呼ばせてください)を片付けたり。自分を含め十数人のボランティアで、作業をさせてもらいました。
写真は、作業をさせて頂いたお宅の周りの風景です。
海まではまだ、2kmくらい離れている場所。にも関わらず、田んぼだったところは、津波に流されてきた一面の泥。家や車の残骸。
そして自衛隊の車両、作業をしている隊員の皆さん。
別の場所で、国道のすぐ脇に、流されてきた漁船が乗り上げているのを見ました。
この日、手伝いをさせてもらったお宅のおばあちゃんが言っていた言葉。
「うちはね、コメ農家なの。でも、コメ作っちゃダメって言われたの。原発で」
「コメ農家なのに、コメをよそから買わなきゃならない。これから先、どうやって生きていけばいいかわからない」
何回かに分けて、アップしていきます。
正直、写真を載せたりしていいのかどうか、わからない。
けど、行ったからには、伝えたい。
今、現在も、こんな状況の中で、あるいはもっとひどい状況の中で、生きることを余儀なくされている人たちがいる。
そのことを、自分の伝えられる限りで、ほんの少しでも。伝えたいと思います。